青木 繁 大穴牟知命

1899年、17歳で上京。このとき島崎藤村「若菜集」をもっていったといわれる。
ヨ-ロッパの世紀末芸術に通じる浪漫的傾向をもともともっていた。
小山正太郎の主宰する不同舎に入門。

1900年東京美術学校西洋画科選科に入学し、黒田清輝らの指導をうける。
同期に熊谷守一、和田三造など。

在学中の1903年、白馬会第8回展に「黄泉比良坂」などの神話画稿10数点を出品し、
その作品の中にある理想主義的なところを認められ、その年から設けられた
白馬会賞を受賞して、華々しくデビュ-した。

1904年、東京美術学校を卒業。坂本繁二郎、森田恒友、福田たねらと
房州(千葉県)布良ですごし、このとき「海の幸」など、海を題材にした作品を制作した。

1906年冬から福田たねの実家(栃木県水橋村)に滞在した青木は、
「わだつみのいろこの宮」をかきあげ、作品を持って上京し、1907年3月
東京府勧業博覧会に出品した。青木の大きな期待に反し、3等末席であった。
白馬会受賞と、「海の幸」が好評を得たあとは全く認められなかった。

8月には父危篤のため久留米に戻ったが、家族と衝突して放浪生活に入り、
福岡、佐賀を転々とする。

1910年に喀血し、福岡松浦病院に入院。1911年 3月25日死去。28歳。


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